日本人が日常よく使う惯用句の意味.docx
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日本人が日常よく使う惯用句の意味
日常使う慣用句は何げなく日常よく使ってますが同じ語でも意味が異なってくるので、こうゆう意味だったのか、こういう事からの語なんだと慣用句の由来、意味がわかってくると興味も深まりおもしろみも増します。
相槌を打つ(あいづちをうつ)
鍛冶屋の職場用語から出たことば。
刀鍛冶では、師が刀を打つ間に、子が槌をいれる。
その交互に槌を打ち合うことを相槌とよんだ。
勅命によって剣を作ることを、命じられた小鍛冶宗近が相槌を打つべき者のないために伏見稲荷の明神に祈ったところ、その明神が相槌を勤めてくれたために名刀ができあがったという有名な話が謡曲「小鍛冶」にある。
ここから今では、相手の話に巧みに調子をあわせる意味で使われるようになった。
赤の他人(あかのたにん)
「赤の」というのは、「赤はだか」、「赤恥」、「まっ赤な嘘」、などのように、名詞の上について「まったくの」、「はっきりした」という意味をあらわす。
したがって、自分とまったく縁のない他人、何の関係もない他人の意。
方言では、「あか嘘」、あか馬鹿」などの言葉もある。
揚げ足を取る(あげあしをとる)
相手の上げた足をとらえて、相手を倒す相撲や柔道などの手から転じて使われるようになったことば。
相撲や柔道では宙に浮き上がった足のことを揚げ足(また浮き足)と呼んでいる。
ふとした油断につけこんで相手をせめることから使われるようになり、相手の言い間違えや言葉じりをとらえてせめたり、からかったりする意。
顎を出す(あごをだす)
長い間、歩いたり走ったりして疲れてくると、腰がひけて顎が前に出たような姿勢になるところからきた言葉で、疲れ切ること、また弱り果てること。
それから転じて、自分の手に負えないで困り果てることをもいう。
ところが英語でkeeponeschinup(顎をあげている)といえば「勇気を失わない、へこたれない」という意味になる。
同じ「顎」でも日本語と英語では慣用句の使い方がまったく反対になってしまうよい例。
慣用句の直訳は禁物。
後の祭り(あとのまつり)
京都八坂神社の祇園祭りは七月一日から二十九日まで行われるが、十七日の山鉾巡幸がもっとも中心としてはなやかで、これを「前の祭」という。
これに比べて、二十四日の「後の祭り」はいささか精彩を欠き、見物に行ってもあまりおもしろくないことから、転じて使われるようになった。
物事がそれにふさわしい時期をはずして、まったく無益なものになってしまうこと。
手おくれのこと。
油を売る(あぶらをうる)
江戸時代には髪油を売って歩いた商人が、客である婦女を相手に話し込みながら商売していたことからでた。
また、油は升ではかって売るが、客の容器に落ちきるまでに油が糸を引いて非常に時間がかかったために、傍から見るとのんびりとサボっているように見えたところから出たという。
今日では、仕事を怠けてむだ話をすること。
また、仕事の途中で時間つぶしをして怠けること。
『江戸の 水のむと油をうりたがり』(川柳)
如何物食い(いかものぐい)
普通の人が食べないものを、わざと食べたり、好んで食べたりする人という意味。
ここから、みにくい女と好んで通じる男をさすようにもなった。
また、如何物師(いかものし)といえば、にせ物をつくったり、売ったりする人。
板につく(いたにつく)
「板」は芝居の舞台のこと。
役者が経験豊富になって、その芸が舞台にしっくりと調和することをいう。
転じて一般に、その仕事に慣れている様をいう。
また服装や態度、役割などが、よく似合う様をもいうことがある。
「先生ぶりが板についてきた」、「制服が板につく」などと使う。
舞台の意では「板に乗せる」(上演する)などがある。
一杯食わされる(いっぱいくわされる)
だましてやろうと思った相手に思いがけない飲み物や食べ物を一杯食わせる意味から出たともいわれている。
また本当だと思って人の話に一生懸命きき入っていた時の様子を、ものを食べている時の一生懸命な様子にたとえたものともいわれており、いいようにだまされること。
相手のたくらにひっかかってしまって、うまくだまされてしまうこと。
有卦入る(うけいる)
「有卦」は、する事がすべて吉方にむかう縁起のよい年まわりのことで、七年間続くという。
陰陽道で、人生の年回りを吉と凶に分け「胎・養・長・沐・冠・臨・帝」の七つにあたる年を万事に良い「有卦」とし、「衰・病・死・墓・絶」の五つにあたる年を万事に悪い「無卦」とする。
そこからよい運命にめぐり合わせる、幸運をつかむことの意味で使う。
嘘八百(うそはっぴゃく)
「八百」は、「八百屋」、「八百万の神」、「大江戸八百八町」など、数がたくさんあることを示していることば。
あれこれと、たくさんの嘘を並べたてていうこと。
まったく嘘ばかりのことをいう。
『四百ずつ両方へ売る仲人口』(川柳)。
鵜の目鷹の目(うのめたかの)
鵜がえさの魚をあさり、鷹が獲物にする小鳥を探す時の目つきのように、物を探し出そうとしている時の鋭い目つきをたとえていう。
また、そのように鋭い目つきで物を探している状態のこともいう。
上前をはねる(うわまえをはねる)
代金、賃金などの支払いを取り次いだ仲介者が、斡旋料として、決まった額を取ってしまうこと。
税金を米で取っていた昔、寺社が年貢米の一部を「上米=ウワマイ」として寄進させてたり、年貢米の通行税として「上米」を撤収したことから、はっきりした理由がないのに、金子をピンはねする意味で使われ、現在でも「ウワマエ」、「ウワマイ」の両方を使う。
江戸の敵を長崎で討つ(えどのかたきをながさきでうつ)
本来は、「江戸のかたきを長崎が討つ」であったといわれる。
江戸時代の文政年間、大阪の職人が浅草に出した巨大な涅槃像の見世物が大好評をとって江戸の見世物を圧倒した。
とこらが間もなく長崎から江戸え来た見世物師がオランダ船の見世物からくりで人気を博し、大阪の見世物をしのいだところからいわれていたものが、「長崎で」と変化したといわれる。
意外なところで、または本 筋からはなれたことで、昔の恨みの仕返しをすることをいう。
大見得を切る(おおみえをきる)
本来、歌舞伎用語で、役者が舞台上で、演技中に感情の高?
が頂点に達した時に一瞬動きを止めて、にらむようにし、一種のポーズを取ることをいたことから転じた。
今日の意味は、意識的に大げさな表情や動作によって自信を示し相手を圧倒すること。
大目玉を食らう(おおめだまをくらう)
目を大きく見開いて激怒する様を「大目玉」と表現したもの。
特に目上の人、上司、親などからにらまれたり、ひどく叱られたりすることをいう。
「めだま」を使った慣用句も多い。
「めだまがとびでる」、「めだまをむく」、「めだまの黒いうち」など。
『撫でまわし清書にめだまもらう弟子。
』ただ「目」といわずに「目玉」というところにユーモラスな味がある。
お株を奪う(おかぶをうばう)
江戸時代には、幕府の許可した特定の業者仲間の組合員や名手、家主などが世襲したり、継続したりした地位や身分などのこたを「株」といった。
相撲での「年寄株」はこの制度が現在も残っている例。
地位や権利を意味していた「株」が、得意なものという意味に転じて使われるようになった。
すなわち、「お株」はその人が得意とすること、得意な点、持ち前またはその人特有の癖のこと。
ある人が得意とすることを他のものがとってしまう意。
岡惚れ(おかぼれ)
今日では、自分と親しく交際しているわけでもなくて、気心や教養など、相手の内面的な部分をよく知らない相手や、他人の恋人などに、わきから一方的に思いをかけることをいう。
『岡ぼれは目もとの塩に当座漬け』(川柳)
お茶の子(おちゃのこ)
「そんなことはお茶の子さ」、「お茶の子さいさいへのかっぱ」などと使われる。
「茶の子」はお茶に添えて出される菓子のこと。
この茶うけとして出される茶菓子は軽くて腹にたまらないところから、容易にできること、たやすいことへ転化した。
「朝めし前」と同じ意味と考えてよい。
「お茶の子さいさい」は俗謡のはやしことば「のんこさいさい」をもじっていったとされるが「さいさい」の意味ははっきりしていない。
思う壺(おもうつぼ)
ものごとが期待したとおりに、うまくいったときに使う。
ここでいう壷は、サイコロをいれて振るばくちの壷で、サイコロの目が思ったとおりに出るときに「思う壺にはまる」とか「思う壺にあたる」などといった。
書き入れ時(かきいれどき)
「連休中は遊園地の書き入れ時だ」のように使う。
多くの利益が期待される時期。
転じて利益の多く、商売がもうかるとき。
商売が忙しい日のこと。
「掻き入れ時」とまちがえがちであるが本来の意味からは「書き入れ時」が正しい。
発音が同じところから「書」と「掻」が混同されてしまった例。
片棒を担ぐ(かたぼうをかつぐ)
駕籠や棺桶の先棒か後棒かのどちらか一方の棒を担ぐということから、あるくわだてや仕事に加わってその一部を受け持って協力したりすること。
責任を分担すること「悪事の片棒を担ぐ」などと使う。
あまり良いことに対して使うことはないので使用法に注意を要する。
「稲刈りの片棒を担ぐ」などとは使わない。
『片棒をかつぐゆふべの鰒仲間』(川柳)。
これは文字通り、棺桶の「片棒」をかつぐことをいっている。
語るに落ちる(かたるにおちる)
自分で話すうちに、うっかり本心をしゃべってしまうという意味で話すねうちもないという意味の「語るに足らず」まったく異なる。
これは「問うに落ちず」と対をなすことばで、詰問しても本心を聞き出すことが難しいが、うまく自分から話すように仕向けること、意外と本音を語ってしまうことをいう。
買って出る(かってでる)
人から頼まれたわけでもないのに、自分から勝手にケンカの仲裁をするなど、あることを進んで引き受けること。
「そのケンカ、おれが買った」などと使う。
兜を脱ぐ(かぶとをぬぐ)
昔、戦場などで、敵に降参したことを示すためにかぶっていた甲を取ったことから出た言葉。
転じて論争などで相手に降参すること、あやまること。
現代では、敬意をこめたニュアンスで使用されることが多い。
また皮肉の気持ち(とてもついていけない)で使うこともある。
「シャッポを脱ぐ」もまったく同じ意味と考えてよい。
「シャッポ」はフランス語で帽子の意味。
逆に勝利者には、油断をいましめる「勝って兜の緒を締めよ」ということばがある。
鴨にする(かもにする)
「鴨」は、勝負事やかけごと、または極端な場合には詐欺などで食い物にするのに都合の良い相手のことをいう。
昔、鴨は日本中いたるところでかんたんにとれ、しかも肉が美味であったところからいわれるようになった。
「鴨が葱をしょってくる」(鴨葱)も同じ意味で、良い獲物とすること。
いとも簡単に利益をせしめること。
田舎物・婦人などその事柄に経験のあまりない素人客をだまして金品をまきあげることをいう。
木で鼻をくくる(きではなをくくる)
「木で鼻」「木で鼻をかむ」なども同じ意味で使われる。
現在では「くくる」といわれているが、正しくは「木で鼻をこくる」。
「こくる」は、強くこする、またこすってはぎ取るという意味。
したがって他人の鼻を木でこするような無愛想な態度やもてなしのことをいう。
この慣用句は言葉までが変わってしまった例。
九牛の一毛(きゅうぎゅうのいちもう)
「九牛」は九頭の牛のことから転じて、たくさんの牛のことをいう。
したがって「九牛の一毛」は多くの牛の中の一本の毛の意味で、多数の中のきわめて少ない一部分のことをいう。
この場合「九」はたくさんの意を表している。
「八」や「九」は実際の数ではなく、多いことを表わす場合がある。
管を巻く(くだをまく)
「くだ」は、「くだくだしい」の略。
くどいことを言う語であったものが「管」を連想して「巻く」といったという説、織機でのくだまき作業の延々と繰り返される様子や、その機会のブーブーという音を酔っ払いの状態に、たとえたものという説など、様々な説がある。
酔ってくだらないこと,とりとめのないことを、くだくだと繰り返していうこと。
不平などを、くどくどいうこと。
口車に乗る(くちぐるまにのる)
うまくいいまわすという意味から口を「車」にたとえたことば。
またあざむくことを「のせる」というところからたとえたという説もある。
意味は巧みに説得されて一枚加わり、結局だまされて損をすること。
人の口先やおだてにあざむかられて、だまされること、「口車に乗せる」などともいうことがある。
玄人はだし(くろうとはだし)
「玄人」はある技術などに深く熟達した人、専門家。
一つのことを職業、専門としている人のこと。
語源については「しろうと」という言葉が先にあり「しろ」に対して「くろ」といった、「苦労人」転じた語など、種種の説があるが、いずれとも決しがたい。
「素人はだし」は、そのような素人さえ降参して、はだしのまま逃げ出してしまうほど、すぐれていることをいう。
「素人はだし」は明らかな誤用であって意味をなさない。
ご魔の灰(ごまのはい)
高野山の僧の扮装をして、弘法大師の護摩の灰と称して押売りをした者の呼び 名から、江戸時代は、人をだまして金品をまきあげる坊主のことをいった。
これから転じて、旅人のふりをそて、旅客の金品を盗む者のこと。
多くは、旅人に近づき道づれとなって盗みをはたらいた。
「胡麻の蠅」と書くこともあった。
『ごまの 蠅金に匂ひはなけれども』(川柳)。
竹箆返し(しっぺいがえし)
「竹箆」は、参禅者の座禅中の眠りをさますために使う竹製の杖である。
竹を割って合せ、それに籐を巻いて漆を塗る。
竹箆で打たれたのをうち返すことから、すぐに仕返しをすること。
またある事をされて、同じ方法・程度でしかえしをすること。
現在では「しっぺがえし」という方がむしろ普通になっている。
三百代言(さんびゃくだいげん)
明治時代の初期に、弁護士(代言人)の資格をもたないにもかかわらず、他人の訴訟や談判などを取り扱った者のこと。
もぐりの弁護士のこと。
現代では主として悪辣な弁護士をののしる時に用いることが多い。
「三百」は安価・低級である。
ことを表わす。
「三百茶(安物の茶)」、「三百面(下品でずるそうな顔)などの「三百」も同じ意味と考えてよい。
また詭弁を弄する人を軽蔑して呼ぶときにも使うことがある。
渋皮がむける(しぶかわがむける)
「渋皮」は、木や果実の表皮の内側にある薄い皮でタンニンを多く含むために渋い。
それがむけるので、あかぬけがして美しくなること。
また、物事に慣れて、その事にたくみになること。
「しぶがむける」、「しぶりかわがむける」、「しぶりかわが取れる」などともいう。
現在では、ほとんど女性に対して用いるようになっているので使い方には注意を要する。
「渋皮のむけた因果に売られけり』(川柳)。
女性にとってはほめ言葉と考えるべきか。
白羽の矢を立てる(しらはのやをたてる)
日本では古くから神はその意向を矢で表わすという信仰があった。
人身御供を求める神が、その望む若く美しい娘の家の屋根に人知れず白羽の矢を立てる俗説から、多くの中から犠牲者としてえらぶことをいう。
「白羽の矢」は鷹の白い羽でつくられることが多いが、日本では白が清浄で神聖なものと考えられてきたので、神の矢が「白」と考えられたとされる。
『白羽の矢立ってこしもとおこり出し』(川柳)などえらばれて迷惑な場合もある。
白を切る(しらをきる)
「しら」は「白」(しろ)」の変化したもの、または「白」古い形ともいわれるが、白で押し通すことから出来た語。
また「しら」には、まじめで正直なこと、まっとうなこと、という意味があるところから、裏ではともかく、表面ではまじめで通すことの意であるという説もある。
今日では、わざと知らないふりをすること。
なにくわぬ顔をすること。
しらばくれること。
「しらとぼけ」、「しら似せ」、「しら化け」などの「しら」も同じ意味。
素破抜く(すっぱぬく)
「政党間の密約をすっぱ抜く」などと、新聞等のマスコミ界でよく使われる。
「すっぱ」は忍者の別名である「素破」「透波(すっぱ)」からきたもので、「すっぱぬく」とは元々はだしぬけに刀を抜くことを意味したが、転じて忍者のように秘密の情報を探ってそれを暴露する意味に使われるようになったもの。
図星(ずぼし)
「図星を指す」、「それはまさに図星だ」などと使う。
「図星」は、弓で矢を射るときの的の中心の黒点のことで、転じて見込んだところや目あてのところ。
思うつぼ。
急所のこと。
「図星を指す」といえば、相手の急所を突く、またはあることをぴったりと、いいあてることをいう。
いいあてられた方は予想外で、どきりとすることがある。
切羽詰る(せっぱつまる)
「切羽」は、刀身のハバキの受け金。
柄・鞘の接する部分に添える薄い金具のこと。
この「切羽」がつまると刀身が抜けなくなり、いざというときに役にたたないことから、物事の事態がさし迫ってどうにもならなくなること。
抜き差しならなくなること。
先陣争い(せんじんあらそい)
「先陣」は戦争の時、本陣の前方に設けた陣。
前陣。
また転じて一番のり、さきがけの意で用いる。
『平家物語』巻九に「宇治川先陣」のくだりがある。
源氏の佐々木四郎高綱と梶原源太景季が宇治川をせめ渡る時に、それぞれ「いけずき」「するすみ」と名付けられた名馬に乗って、先陣を争ったことから、甲乙つけがたく力の接近した二人が、てがらを争って競争することを指して使われるようになった。
千三つ(せんみっつ)
千のことばの中に真実のことばが三つしかないという意味で、うそ、いつわり、ほらふきのこと。
文字通り、千回の中で三回しか商談が成立しないという意味で悪質な不動産屋やブローカーに対して使われることが多かったが、最近ではあまり使われなくなった。
万に八つしか真実がないという意味で「まんぱち」とい うことばも同じ意味。
袖にする(そでにする)
異性をふる意味あいで用いる。
昔は「袖になす」「袖にあしらう」ともいった。
「袖」は重要な「身」の対義語だからという説と、袖は活動するのにじゃまであることから、じゃま者扱いすることをいうなど、語源説には種々のものがある。
意味は、その物事を重んじないでおろそかにすること。
また、人を冷談にあしらい、じゃま者あつかいすることをいう。
駄々(だだ)
「じたたら」が変化して「じだだ」「じだんだ」となり、そのさらに変化した語だという。
くやしがって地面を激しく踏むこと。
じだんだ。
「だだをこねる」(幼児などが、あまえて親のいうことを聞かないで、わがままをいって、むずかること)「だだを踏む」(地だんだをふんでむずかること)などと使う。
『うんだお子よりは妾がだだをいひ』(川柳)。
盥回し(たらいまわし)
「盥」は「手洗い」の転じた語で。
足でたらいを回す曲芸のこと。
たらいは足を中心として回り続けているだけで、それ自身の位置が大きく変わることはないところから、一つの物事を順送りに移しまわすこと。
また二人以上の人が、馴れ合いで順々に出てくること。
「政権のたらいまわし」「病院のたらいまわし」などと使う。
『大あたま娘たらい回しの身ぶり也』(川柳)。
月とスッポン(つきとすっぽん)
すっぽんのことを関西方面で「丸魚」と書いたことから、月の「丸さ」と比べられるようになったらしい。
同じ「丸」でも、その実、ひじょうに違いがあって、まるでつり合わないこと。
同趣のことわざに「提灯と釣鐘」がある。
どちらもつりさげられているが本質的には大違いということ。
手ぐすね引く(てぐさねひく)
漢字では「手薬練」と書く。
「くすね」は松脂を油で煮つめて練ったもの。
弓の弦に塗って強くするのに用いる。
弓手に「くすね」を塗ることで、弓返りを防ぎ速射 を可能にする。
ここから転じて、十分に準備して機会を待つ、あらかじめ用意して待ちかまえることをいう。
現代ではあまりよい意味には用いられていない「手」は人間の重要な部分であるためか「手」に関する慣用句も多い。
手塩にかける(てしおにかける)
「手塩」は手にした塩の意。
「手塩にかける」とは、漬物などを漬ける時に自分で手に塩をとり、振りまきながら漬けること。
ここから子供を小さい時から、人任せではなく自分自身でいろいろ、苦労しながら育てる意味をたとえたもの。
「手塩にかけた娘を嫁にやる」というように使う。
手玉に取る(てだまにとる)
「手玉」「お手玉」は遊びの一種で小豆などを入れてつくった小さな布袋をいくつかもって投げ上げては受け取る。
手玉のように投げ上げてもてあそぶこと。
転じて思い通りにあやつること。
曲芸師が自由自在に扱った見事さからきた、いい方か。
「手玉に取られてしまった」といえば相手の方が役者が上で、手も足もでなかったという意味になる。
出歯亀(でばがめ)
主として女湯などをのぞくなど変態的なことをする男、転じて好色な男をののしっていうことば。
明治四十一年、女湯のぞきの常習者で、出っ歯であった植木職人の池田亀太郎という男が女性殺人事件をおこしたところからでている。
この時、弁護人が「出歯亀」とよび、また新聞もそれを取り上げて報道したので、新語ができてしまった。
無しの礫(なしのつぶて)
投げた礫は返らないとこから「梨」を「無し」にかけて語呂合わせていう語。
昔は、恋の告白に、歌を詠んで送ったり、袖をふったりする他に小石を投げる求愛法があったが、相手もその気があれば、同じように小石が返ってくる。
返ってこなければ、ふられたことになる。
このことから音信のないこと、音沙汰のないことの意味となった。
ならず者(ならずもの)
「ならず」は「成る(なる)」に打消しの助動詞「ず」が付いた語。
「どうにもならず」の意味から「手に負えない」という意味が生まれ、素行の悪い者。
正当な定職を持たず、たちの悪いことをして一般の人を脅かすような者。
[
二進も三進もいかない(にっちもさっちもいかない)
そろばんの割り算の九九の「二進一十(にしんいんじゅう)」「三進一十(さんしんいんじゅう)」から出た語で、これらがそれぞれ割切れて商一(余りなし)がたつことを意味することから、計算のやりくりのことをさす。
「二進も三進もいかない」が計算のやりくりがつかない、ことを表わす意味で用いられるようになって「にっち」「さっち」となまった。
窮地に追い込まれて、身動きできない様をあわせて表わしている。
猫糞(ねこばば)
猫は、糞をした後で、足で土をかけて隠してしまうことから、悪いことをして、しらんふりを、きめこむことをいうようになったという。
一説には江戸時代に本所に住んでいた猫好きの老人が強欲で、頼まれた届け物をそのまま着服してしまったことから、いうようになったという俗説もある。
今日の意味は、拾った物などをそのまま自分のものにしてしまうこと。
また悪事をかくして素知らぬ顔をすること。
鐚一文(びたいちもん)
漢字「鐚」は国字(日本でつくられた漢字)であるという説があるが誤り。
中国では甲(かぶと)の一部分の名称。
「びた」は、「びた銭」のこと。
室町時代に幕府 が明(みん)と貿易した際に明の通貨「永楽通宝」を大量に輸入して流通貨幣とした。
それまで流通していた貨幣は長年使われているうちに表面の文字がへったりして劣悪なものが多かったために、これらを「鐚」と称して新貨と区別した。
ほんのわずかの価値の金でさえ、という意味。
左利き(ひだりきき)
江戸時代初期に金がさかんにでたころ世に広まった金山言葉。
金を採掘する時、槌(つち)を右手に、のみを左手に持って、右手を「槌手」、左手を「のみ手」といった。
その「のみ手」を「飲み手」と
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