日语 论文样例.docx
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日语论文样例
外国语学院2007届日语专业毕业论文定稿格式要求及模版
1.日文封面
1)学校名称—(MSMincho36号字,居中)
2)论文标题(副标题)—(MSMincho24号字,加粗,居中)
3)作者信息(Applicant)—(MSMincho15号字,填写内容加粗)
4)院系名称(Faculty)—(MSMincho15号字,填写内容加粗)
5)论文提交日期—(MSMincho15号字,居中)
6)指导老师姓名(Supervisor)—MSMincho15号字,填写内容加粗,)
2.致谢页(Acknowledgements)
·致谢页应包括对给予各类资助、指导和协助完成论文写作工作以及提供各种条件的单位和个人表示感谢,单独成页。
3.中日文摘要和关键词页
1)要旨—(MSMincho15号字,填写内容加粗)
2)内容—(MSMincho12号字)
4.目次(Contents)(MSMincho16号字,填写内容加粗)
1)题号—(MSMincho12号字)
2)内容—(MSGothic12号字,正文页码有变动时目录也要作相应调整。
)
·中日文摘要应在150-300之内要能概述全文,提出主要论点、揭示论文的研究成果、简要叙述全文的框架结构,具有独立性和内含性,即不阅读论文的全文,就能获得必要的信息。
关键词3~5个,13号字,中文和日文分页,中文在前,日文在后。
1)标题—(MSGothic16号字,加粗,居中)
2)内容—(MSGothic12号字,“Keywords/关键词”要加粗)
5.正文(6,000~10,000字)(MSMincho16号字)
正文的一般由以下部分构成:
1)引言部分(はじめ),(填写内容加粗,综述前人的研究成果、存在的问题、本课题研究的意义、理论依据以及拟采取的方法和步骤。
(约5,00~1,000字)
2)主体部分,分析问题,提供有关论据。
3)结语部分,结论应是本论部分阐述的必然结果,其作用在于简明扼要地重申论文的论点,归纳、总结全文,并比较前人的研究情况与自己的研究结果,提出值得进一步研究的方向和倾向性意见。
(约300~500字)
6.参考文献(Bibliography)(MSMincho16号字)
参考文献为作者阅读过、在正文中被引用的文献资料。
中日文参考文献分别列出,日文在前,中文在后。
按照引用文章(或书)名、作者姓名、期刊名或出版社名、发表或发表年度(含第几期)、具体页码等顺序排列。
注:
不必标识参考文献类型,专著不必标注引用页码。
7.注意事项
1)毕业论文一律用A4纸打印,页边距用缺省值(上下为2.54cm,左右为3.17cm)。
封面、致谢、摘要、目录、参考文献都单独成页,如超过一页,可继续。
2)除封面,致谢、摘要、目录、正文等的标题用14号字,二级标题,其余部分均用12号字。
日文文字均用(MSMincho,中文用宋体。
行距为1.5倍行距,段落格式为首行缩进1个日文字符。
3)封面、致谢、摘要和目录部分不标注页码,正文和参考文献用一、二、三……,全部页码居中。
吉首大学
本科生卒業論文(設計)
題目:
井伏鱒二の作品における小動物について
——「山椒魚」を中心に
题目:
井伏鳟二作品中的小动物世界
——以《山椒鱼》为中心
学号:
姓名:
年级:
级
学院:
外国语学院
系别:
日语系
专业:
日语语言文学
完成时期:
年 月
指导教师:
诚信声明
本人声明,所呈交的学位论文是本人在导师指导下进行的研究工作及取得的研究成果。
尽我所知,除了论文中特别加以标注和致谢的地方外,论文中不包含其他人已经发表或撰写过的研究成果,也不包含为获得吉首大学或其他单位的学位或证书而使用过的材料。
作者签名:
日期:
年月日
关于学位论文使用授权说明
本人了解吉首大学外国语学院有关保留、使用学位论文的规定,即:
学院有权保留学位论文,允许学位论文被查阅和借阅;学院可以公布学位论文的全部或部分内容,可以采用复印、缩印或其他手段保存学位论文;学院可根据国家或湖南省有关部门规定送交学位论文。
作者签名:
导师签名:
日期:
年月日
要 旨
井伏鱒二は新興芸術派の中で極めて特異な作風を持っていた作家である。
彼の文学作品は題材範囲が広く、頗る研究価値を有する。
本論文は井伏の初期作品における小動物世界について研究し、井伏の内面を解読し、その創作特色を分析してみた。
本論文は、井伏の初期作品に登場する山椒魚、蛙、小蝦、目高などについて一つずつ分析を行い、特に山椒魚の心理特性を中心として、彼の内心における矛盾性を掘り出したのである。
そして、井伏の内面の矛盾、すなわち、当時の文壇の波を追うことと自己の創作風格を保つこととの矛盾を分析する。
また、他の小動物の寓意や彼らが山椒魚との関係を分析し、作者が様々な小動物を通じて人間社会の世態人情を反映するという結論を得た。
蛙にしても、小蝦にしても、人間社会でその原型を見つけることができる。
作者はこういう比喩の方法を通じて、自己の内面の不安や矛盾を表すだけではなく、社会の様々な人間像に対して風刺しているのである。
そのほか、私は井伏のもう二篇の小動物を描く小説、「鯉」と「屋根の上のサワン」について比べながら分析し、井伏の作品における小動物世界の共通点を得た。
すなわち幽閉、孤独、悲しみ、友情、夢などである。
その上、これらの共通点のかなめは不自由の問題であることを指摘した。
最後に、井伏鱒二の創作特色やそれを形成する原因について簡単に分析した。
キーワード:
山椒魚 蛙 小蝦 目高 サワン 幽閉 絶望 孤独 寓意
内容提要
井伏鳟二是日本新兴艺术派中极具特色的一位作家。
他的作品涉及范围很广,颇具研究价值。
本论就是要通过对井伏鳟二的处女作以及其初期的作品中呈现的小动物世界进行研究,以此来解读井伏鳟二的内心世界,分析其创作特色。
在本文的论述中,我将文中的山椒鱼、青蛙、小虾、鳉鱼等小动物抽出来,逐一进行分析。
重点对山椒鱼的心理及其寓意进行分析,发掘了山椒鱼内心的矛盾性,进而分析了井伏鳟二内心的矛盾心理。
即跟随大众潮流还是追求自己的创作风格的矛盾。
另外还通过分析其他小动物的角色的寓意以及它们和山椒鱼的关系,进一步得出了作者通过诸多小动物反映人间百态的结论。
青蛙也好,小虾也好,都可以在人类社会中找到其原型,作者通过这种比喻的方法,既反映自己内心的矛盾与不安,又对社会上的种种人物进行了讽刺。
另外,还就井伏鳟二的另外两篇有关小动物的文章进行了比较分析,得出了井伏鳟二文章中小动物世界的共同之处。
即幽闭、孤独、悲伤、友情、梦想等。
这些共同点中的关键是不自由的问题。
最后,还简单分析了井伏鳟二的创作特色及其形成的原因。
关键词:
山椒魚 青蛙小虾鳉鱼沙凡 幽闭 绝望 孤独 寓意
目次
はじめに……………………………………………………………………1
一 井伏鱒二について……………………………………………………3
二 「山椒魚」の創作背景とあらすじ…………………………………5
1創作背景…………………………………………………………………5
2 あらすじ………………………………………………………………5
三 小説の中に出てきた動物についての分析と比較…………………7
1 山椒魚 その境遇、心理、性格及び寓意について………………7
2 山椒魚と他の動物との関係及びその寓意………………………10
A 山椒魚と蛙……………………………………………………………10
B 山椒魚と小蝦…………………………………………………………11
C 目高について………………………………………………………12
四 小動物の世界から見た井伏鱒二の思想と創作特色……………14
おわりに…………………………………………………………………18
参考文献…………………………………………………………………19
はじめに
井伏鱒二は新興芸術派の中で極めて特異な作風を持つ作家である。
彼の文学作品は題材範囲が広く、頗る研究価値を有する。
本論文は井伏の初期作品における小動物世界について研究し、井伏の内面を解読し、その創作特色を分析してみたい。
井伏とその作品についての研究は非常に多く、中村光夫、寺田透、吉田精一、東郷克美、関良一など多くの評論者は、大変豊かな成果を収めた。
彼らは井伏の生涯、作品、現代文壇における地位、創作特色とその影響、思想構造などの方面を分析した。
そのうち、出生作の「山椒魚」に対する評論も乏しくない。
「作者が山椒魚と化して自分の内心を表す」とか、「山椒魚は極めて絶望と倦怠の象徴である」とか、「『山椒魚』は井伏の文学創作に巨大な影響を与えた」とかいう考え方である。
しかし、大部分の人は山椒魚に対する研究を二言三言のレベルに止まり、より多くの精力を彼の名作「さざなみ軍記」、「遥拝隊長」、「黒い雨」などに用いられた。
勿論、一部分の人が「山椒魚」に対する専門的な研究を行った。
彼らは関良一をはじめに、山椒魚の心理特性や性格を全面的に分析し、井伏の当時の情況と結びつけて以下の結論を得た。
山椒魚は作者自身の象徴であり、作者が山椒魚を通じて自分の内心世界と当時の文壇に対する批評の見方を表す。
(私もこの結論を基づいて自分の研究を行い始めたのだが)然し、山椒魚を井伏の作品における小動物の世界に置いて、小動物達との関係を分析する人は少ない。
実は、井伏の作品の中に出てきた小動物もゆるがせにしてはいけない役割があり、大きな研究価値を持っている。
山椒魚は永遠な棲家である岩屋から出て行かれなくなる。
岩屋は狭く、出入口は小さく、彼の頭は発育し過ぎた。
強いて出て行こうとすると、彼の頭は出入口を塞ぐコロップの栓となる。
山椒魚は狼狽し、悲しむ。
この滑稽且つ可憐な小動物のイメージは現代文壇の傑作と認められ、現代文学史で重要な一ページを占めている。
井伏の出世作としての「山椒魚」は、多くの優れた作家の処女作に共通する一つの性格を持っている。
それは、この作品が、それ自身としての価値より、彼の厖大な著作に冠せられた序文として貴重なのである。
「山椒魚」は彼の文学的才能の、無意識であるがゆえに正確な見積書と言ってもよい。
その後、彼が書いた歴史物にしても、漂流記物にしても、全体的に処女作「山椒魚」にあらわれた面影は変っていないと世が認める。
それ故、井伏の初期作品についての研究は非常に有意義なことである。
本論文は、「山椒魚」を中心に、井伏の初期作品で描かれた小動物の世界を解読し、作者がその非人間社会を通じて、世に見せた彼の人生に対する態度について詳しく分析してみたいと思う。
一 井伏鱒二について
井伏鱒二(本名満寿二)は、明治三十一年に広島県深安郡加茂村に中流地主階級の農家の次男として生まれた。
小学校四、五年のころ、有本芳木や島崎藤村の詩集に接し、またガルゲーというイギリス婦人からアイルランド劇を学んでシングに親しむ一方、画家を志して、写生に熱中し、中学を出ると、奈良、吉野、京都、大津を写生旅行したという。
また、中学のころ、当時、連載されていた森鴎外の『伊澤蘭軒』のことで、その史実が間違っているという反駁文を書いて、鴎外から返事をもらった。
鴎外は「筆跡は老人なるが如く、文章には真率なる処がある」と『伊澤蘭軒』の「その三百三」一章を費やしてこのことを記している。
それを見ると、中学生の井伏はすでに老成した筆づかいを持していたらしい。
大正六年(1917)、画家になることを断念して、長兄の勧めで志望をかえ、九月早大予科一年に編入した。
翌年文学部に進み、同級の青木南八と知り、とかくなまけがちな井伏は、この友から学業の面でも創作の面でも刺激されることになる。
大正十一年(1922)の五月、青木南八は亡くなり、そのショックのためか、井伏は早大を退学してしまう。
しかしこの友の死は、井伏に「鯉」を書かせる動機となり、「山椒魚」とともに、井伏鱒二を文壇に登場させた。
この二編、そしてやや遅れて発表された「屋根の上のサワン」は井伏文学の基盤をなして今につづくものである。
彼の早期作品を見ると、初期の井伏文学には、共通の詩情や諧謔が溶けあって、いずれも独特のペーソスを湛えている。
また井伏は、都会生活を逃げ出して、しばしば帰郷しており、戦争末期には二年間も疎開しているためか、その作品に郷土色豊かな佳品が多い。
「朽助のいる谷間」「丹下氏邸」「当村大字霞ヶ森」などである。
それからは旺盛な作家活動を開始した。
その長編『ジョン万次郎漂流記』で直木賞を、また「本日休診」で第一回読売文学賞を受けている。
さらに『黒い雨』で広島県における原爆の悲劇を庶民の日常生活の場で淡々と描いて野間文芸賞を受けた。
二 「山椒魚」の創作背景とあらすじ
1 創作背景
井伏鱒二の処女作とされている「山椒魚」は今残っている井伏の習作のうちでは最初の作品である。
彼は二十一歳、予科二年の時に「やんま」「蟻地獄」など動物に関する短い小説を書いて親友の青木南八に郵送した。
井伏はかつて「学生のころは青木に読んでもらおうと思って作品を書いた」と洩らしたことがある。
南八の存在が井伏にとって大きな刺激であったことが判る。
青木南八と知り合った年の夏休み、井伏が帰郷して、かつて父郁太の病舎であった大石崖の上の家で作品を書いた。
彼の初期の名作といわれる「鯉」も青木南八への感慨を一匹の白い鯉に託して表現した作品である。
実は「山椒魚」は井伏がチェホフの「賭」を読んで感激して書いた文章で、「賭」の主人公の法学者である人間の絶望から悟りへの過程を書こうと思ったので、「もっとも悟って行くところは書こうとすると、自分に裏づけがないからどうしても説明になるのでやめた」という状況で書いた作品である。
当時の井伏は兄文夫や友達の勧めに従って上京し、画家志望から文学へ転換し、早稲田の文科に入学したばかりだったのである。
2 あらすじ
「山椒魚」は大正十一年八月の『世紀』に「幽閉」の題で発表された。
のち『文芸都市』に改題加筆して掲載された。
昭和五年四月の新潮社刊の『夜更けと梅の花』に収録。
物語といっても簡単な物語である。
ちょっと「うっかり」している間に体が成長しすぎたため、頭でっかちになって、狭い岩屋から出られなくなる山椒魚に関する滑稽な話である。
彼はすでに絶縁されている。
岩屋の出入り口に顔をくっつけて外の光景を眺めることを好んだ山椒魚は、激しく自他の愚かさを罵り、嘲り、無謀にも何度か「全身の力を込めて岩屋の出口の突進し」、泣き、笑い、神様を怨み、その狭い棲家のなかでできることはすべてやった。
しかし、結果は相変わらず一つしかない。
狼狽で、倦怠且つ絶望の彼は目を閉じた。
「際限もなく拡がった深淵」のなかに落ち込んだ。
ある日、山椒魚の悲しい世界に一匹の蛙が「誤ってまぎれこんだ」。
山椒魚はこのかわいそうな蛙を岩屋に閉じ込めてしまう。
そして、二人は激しい口論をし始めた。
また二年間が経った。
山椒魚と蛙との間は、いつの間にか和解して、「友情」も生じてきた。
二人は、岩屋の中に、互いに黙り込んで、深い嘆息をし続けた。
三 小説の中に出てきた動物についての分析と比較
1 山椒魚――その境遇、心理、性格及び寓意について
頭でっかちになって、棲家である岩屋から出られなくなった山椒魚は岩屋の狭い出入り口から外界を眺めることを好んだのである。
彼は谷川と水の中の生物を眺めるだけではなく、自由の可能性をも眺める。
どうしても岩屋の外に出ようと決心して、全身の力を込めて岩屋の出口の突進した結果も、頭は出口の穴につかえて、そこに厳しくコロップの栓をつめるという結果に終わってしまった。
「それ故、コロップを抜くためには、彼は再び全身の力を込めて、うしろに体を退かなければならなかったのである。
」 この境遇にいる山椒魚は、外へ出ようという決心は、どんどん弱くなっていくはずだろう。
彼のひとり言を見てみよう。
最初に「何たる失策であることか!
」と彼は二年前に彼の間違いを深く悔やんだのである。
悔やんだ後は外へ出ようと試みた。
一度失敗した後は「いよいよ出られないというならば、俺にも相当な考えがあるんだ」と呟いた。
決心は相変わらず口調は既に柔らかくなった。
何度も努力したが、さらに小蝦の前に失敗して、嘲笑された後は「ああ神様!
あなたはなさけないことをなさいます。
たった二年間ほど私がうっかりしていたのに、その罰として、一生涯この穴蔵に私を閉じ込めてしまうとは横暴であります。
私は今にも気が狂いそうです」と涙ぐんで神様を怨みはじめた。
「ああ神様、何して私だけがこんなにやくざな身の上でなければならないのです?
」という怨みは、これは自分の運命だろうかという疑いを引き起こした。
以上の山椒魚の心理活動から見ると、彼は次第に絶望の縁に近付いていっていると言える。
「外界に行こう、自由を求めよう」という希望も月日の経過とともに、あるいは幾度もの失敗の故、だんだん消えていってしまっているとも言える。
希望が消えていくのと同時に、限りない孤独感と絶望が心を占領するようになった。
しかし、山椒魚の絶望は純粋な絶望だろうか、彼の思想の中に絶望と矛盾するものがないか、私は疑問を持っている。
実は、山椒魚の心の奥底には表面から見つけられないその岩屋あるいは彼の棲家から離れたくないという矛盾した考えが潜んでいるのではないだろうか。
理由は以下である。
まず、山椒魚は「杉苔の花粉はしきりに岩屋の中の水面に散ったので、彼は自分の棲家の水が汚れてしまうと信じたから」、「杉苔や銭苔を眺めることを好まなかった、寧ろそれ等を疎んじさえした」。
つまり、彼は既にその岩屋を自分の棲家としていたのである。
この微妙な心理は彼の矛盾の基盤とも言える。
そして、岩屋の出入り口から時々外を眺める山椒魚は、もし自由のみを非常に強く望んでいたのなら、目高とか、小蝦とかなどの小動物をつれなく嘲笑することはしないだろう。
勿論、他の動物に対する嘲笑にしても、悪罵にしても、彼の内心の空虚や不満の証拠とも言えるが、長い間穏やかな生活の影響で形成した安逸感が心の奥底に根付いたからではないだろうか。
そして、山椒魚と「誤ってまぎれこんだ」一匹の蛙との喧嘩も、彼の心理の矛盾点の証拠である。
山椒魚にとって、いつも水の中に自由に水底から水面に突進したり、列を作って泳いだりした蛙の狼狽した様子を見ることは、何よりも痛快なものである。
その痛快という感覚の中には、自己に対する慰めも、平等ではない世の中への報復も含まれる。
そして、蛙の登場は山椒魚の平板かつ孤独な生活に一石を投じた。
彼は最も重要な相手役として、山椒魚の生活を一変に変えた。
少なくとも、無言の世界が打ち破られた。
表面から見れば蛙の到来に対する抵触の態度を持っている山椒魚が、内心ではこれを歓迎していることは言うまでもないことである。
しかし、蛙を歓迎する気があっても、少しも排斥する気がないとは言い切れない。
蛙との激しい口論は自分の不満を表すとともに、外界からの彼がずっと望んでいた自由の象徴である蛙に対する排斥もはっきりと見える。
河上徹太郎の解説によると、「山椒魚の持つ詩情と寓意は、一読明らかである。
…それはボードレールがよく使った、詩人の人間的失格の喩えだが、然しもっと辛辣で、もっとユーモラスである。
何ゆえならこれは絶対に見物人のいない喜劇であり、絶対に救い手のない悲劇だからである。
つまり正真正銘の孤独である。
彼は目高が群れをなして皆が行く方へ自分も行くのを嘲笑ったり、うっかり岩屋へ舞い込んだ蛙を自分の頭で入り口を塞いで閉じ込めて困らせたり、…のを観照したりする。
しかしそれらは山椒魚自身の生活とは関係ないことなのである。
彼はこういう自分と関係ないもので自分を表現せねばならない。
この倦怠は美しいけれど、絶望的である。
彼はいつとしかこういう外物と化する。
そしてかくの如く、井伏が山椒魚と化するのである。
そういう自嘲と詠嘆をつきつめたのがこの作品である」という。
そのとおりである。
山椒魚のその矛盾性は、当時の作者の内面的矛盾をも明瞭に示しているのではないだろうか。
まず、小田切秀雄の言い方を借りれば、「彼は岩屋のそとの急流や、意外なところにある窪みに入ることを避けて、大正から昭和の大転換期の、時代の急流や淀みに入ることをおそれて、身体は安全な場所におさめておいて外界をのぞき見することだけを好んだ、という存在として、魚と人間が重ねあわされる」と述べている。
彼が指摘した「急流」は当時の文壇ほかならない。
昭和文学の始まりであった当時は、「太宰の言うで『これからは、このような作品が解らぬと、文学を語る資格がない』と言った気負った未熟な試みが、ジャーナリズムを風靡し、作者も読者も、それに巻き込まれた時代と言えませう」。
文壇へ進出した後、世俗一流の道に反撥するところから出発した井伏は、長い間無名作家として平板な生活を送っていた。
彼の独自の作風が理解され、認められるまでには、かなりの年月を要したからである。
井伏は韜晦しながら、矛盾の渦の中に自分の進路の瞑想に耽っていた。
そういう時代の空気の中で、井伏は、文学の領域における、自分を作家として生かす道を見出して、一定の成果をおさめたい気持ちと、時代の波を追って当時の既成流派に屈従しない思想とが、内面で火花を散らしていたことは容易に推察できる。
これも、「山椒魚」を発表する際、「幽閉」を改題し、末尾に加筆した原因である。
今日私達が目にする「山椒魚」は「幽閉」とは長さ、用語、用字、文体などがはなはだしく違う。
最も著しい相違点は蛙の登場である。
「幽閉」には、蛙が登場しないが、外界から絶縁された山椒魚の感傷的な独白である。
蛙の登場と両者の対話により、山椒魚の内面世界や性格についての表現はいっそう深まり、作者の意図も明らかになり、「幽閉」から「山椒魚」へ質的な飛躍を遂げた。
それだけではなく、前文に述べたように、作家の内心の矛盾をも表現できた。
以上のことから見れば、井伏は山椒魚の矛盾な内心を通して、当時の自分の内面の矛盾や足掻きを表したと言える。
井伏は山椒魚と同じように、自分を現世より遠い「内心の岩屋」に閉じ込まれた。
その矛盾の心情は、彼の自分の持ち場を限定して、個性を保つ理由であり、また、世俗の文壇とを隔絶する「コロップの栓」である。
2 山椒魚と他の動物との関係及びその寓意
A 山椒魚と蛙
この短編で、蛙は二箇所で現れている。
一箇所は山椒魚が出入り口から眺める視野の中に入った蛙であり、もう一箇所は、前文に述べたように、岩屋にまぎれこんだ蛙である。
前者は自由なものであり、山椒魚はそれなどの「活発な動作と光景とを感激の瞳で眺めていたが、やがて彼は自分を感激させるものから、寧ろ目を避けたほうがいい」と感じさせる存在だった。
それは羨望心か、嫉妬心か、或いは不満な気持ちか、いずれにしても、悲しんだ山椒魚をもっと悲しい世界に導いた。
それに対して、後者は、山椒魚にとっては、意味深いものである。
前章の「山椒魚の内心の矛盾」や「井伏が『幽閉』を加筆改稿した」というところで既に触れたが、ここでは、さらに詳しく分析してみたい。
山椒魚が蛙と一緒に暮らした二年の間に、両者の関係は、それぞれの内心活動の変化とともに、変わっていった。
時期に分けると、大きく「対抗」、「沈黙」、「和解」という三つの部分に分けられる。
そのうちの、「対抗」の時期は最も面白くて意味深い部分である。
「そこで、山椒魚の孤独は滑稽化され、彼と蛙との争いは、当事者たちが真剣であり、両者の境遇が絶望的であればあるほど、読者の失笑を誘います」と中村光夫は評している。
実際は、山椒魚と蛙の口論
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